昭和57年10月20日 朝の御理解 二代
御理解 第2節
「先の世までも持ってゆかれ、子孫までも残るのは神徳じゃ。神徳は、信心すればだれでも受けることができる。みてるということがない。」
私達が信心させて頂くのに、いよいよ神様の御神用頂きたい神徳も頂きたいと願う訳ですが、今教団でこの神徳ということを言うのを大変嫌うの傾向がある訳ですが、例えば今概説金光教と言うこんな厚い本が出ましたけども、この神徳と言う言葉が一言も出て来ないですね。結局神徳を受けたものでなければ神徳の働き、神徳の大切さと言うものは分らないんだと、そういう意味合いで私達の場合、本当にここに神徳を受けた方のお話を頂くことが出来る。
どうしたら神徳が頂けるのか、又神徳の働きはどう、こう言う働きにを受けることが出来るという、実証者をここに持っておると言う事を、先ず本当に有り難い事だと思うんですが。昨日御理解があれは59節でしたかね、習うたことを忘れては師匠が喜ばんと、習うた事を覚えてあの人のおかげでと言う様な、という御理解をさして頂いてそのなかであのう出世と言う言葉を使わして頂いたんですが。
昨日の研修の時間に今宮崎から修行に入ってます、まぁ金光何年生かでしょうけど、高野瀬君と言うのが居りますが。それこそあのうまぁ信心が分かっておるのか、進んでおるのか全然こちらと分からん様な雰囲気の人ですが、昨日の御理解を頂いて、高野瀬君が感じておるのは、この度の親先生の病気は生神様に、出世をしておられる姿ではないでしょうか、と言うな事を言うんですね。確かにそうだと私も思いますね。
いよいよこの事を通して生神に出世をなされると言うか、天地といよいよ一体になられるこう修行を、今なさっておると言う事でもあろうかと思うんですが。また吉井の熊谷さんがもう本当にこう驚いた様にしてここに、ご結界にお取次ぎに見えたんですが、今朝ほどから親先生からこんな大きな色紙に黒々と出世という字書いて、あのうお書き下げを頂いた所を頂いたんだそうです。こりゃ本当にあのう今日のお話を頂いて感激致しましたと仰るんですが。確かにこのう昨日も申し上げたんですけど。
本当に徳に今度の月次祭から昨日今日とかけてですか、不思議な現象があのう、本当その直前になるまで何を話していいかもう全然頂かないんですよ。本当にもうお前やぁ、要らんこと話さんでいいとこう、神様が仰りょるとだろうと、私は思うんですが、ですからあのう自分で何を話しておるのか分からん、本当に話べただなぁと、自分で思いつつこうやって、今話しておる訳ですけれども。
けれども本当に神様が、あのうおかばいを頂いてと言うか、あのう間違いのないだよと言う事だけを、私の中で本当うにこう、せつぶんではるんるんする様なものを感じつつ、あのうお話をしておる訳ですけれども、まぁこの様にお互い親先生の御容態が、こう言う状態でございますからか、いよいよまぁ神の心を心として親先生の心を心として、下さろうと言うものを頂かなきゃいけない。神様がせっかく神徳を下さろうと。
又神徳をお受ける為にはこう言う手立てがあるんだよっと、神徳を頂けばこういうおかげが頂けるんだよと言う事を、ここに身をもって実証して下さる方が居られる訳ですから。本当に私達がそのものを頂かして頂こうと言う事にならなければ、それであのう勿体無い事になるんではなかろうかと言う気が致します。昨夜主治医であられる浅野先生お見え頂きまして、検査して頂いたんですがやっぱりデータ的には、データというよりもあのうどこがどう悪いと言う事のはっきり出ないと仰るんですね。
だからまぁ入院と言うよりもあのう、大学に検査に来て頂きたい、出なければどういう手立てをしていいのか、分らないと言う事を仰ったんですけども。だだからひとつ、まぁここ何日間かひとつ福大の方に、検査に行って頂かなきゃならないと言う事になるんだろうと思いますけども。まぁ神様の御演出としてどう言う働きがあるのか分からないんですけども、まぁこは昨日ある修行生の方が言よりましたけど、これからが本当のなんか幕開けが始まる様な気がするというんですね。
私もそれをおもんですが今までに15年間と言うものは、本当に合楽教会にとっては一つの前奏曲ようのみたいなもので、本当の幕開けと言うのはいよいよこれからだと言う気がするんですね。だからどう言うあのう演出かどういう舞台が待っておるのか、一つ私として何か心躍るような思いをさして頂いて。ここ何日間かあのうこう見さして頂きたいと言う気がさして頂く訳ですが、まぁひとつお祈り添えほどどう言う手助けるのも、本当にここで私達が頂くもの頂かなきゃ勿体無いという気が本当にするわけですね。
どうぞおかげを頂いて下さい。